「当事者ヒストリー」は、生まれた身体の性別に違和や疑問を感じるLGBTQ(セクシャルマイノリティ)当事者のインタビュー記事です。
性別に悩む一人のノンフィクションの物語、当事者のリアルなヒストリーをご案内します。
今回紹介する方は、結婚のために戸籍の性別変更をし、トランスジェンダーのロールモデルになると宣言する、北海道札幌市在住のFtM、きんちゃん。
「結婚するため戸籍変更、戸籍変更のために性別適合手術」
「タイでの性別適合手術は予想外の連続」
「トランスジェンダー当事者のロールモデルになる」
髪が長かった幼少期から「さっぽろレインボープライド」の副実行委員長を務めるに至るまで、きんちゃんの想いや考えをじっくりインタビューしました。
タイでの性別適合手術についても赤裸々に語って頂きました。タイでの手術を考えている方は必見!
好きな服を選んだら男の子っぽい恰好だった
まず、きんちゃんの幼少期から社会時になるまでの間のことを伺いました。
当時は1980年代から1990年代にかけて。まだLGBTQという言葉もトランスジェンダーという概念も知られていなかった時代。
自身の性別について、どんな想いで過ごしてきたのでしょうか。
初恋は女の子。世の中一般と何か違うという違和感
きんちゃんが初めて性別違和を意識したのは小学校3年生の時。
「同じマンションに住んでいた2つ上の女の子がめちゃかわいいと思っていたんです。その時あれって思ったのがきっかけですね」
「その違和は、生まれた性別と違うという違和ですか?それとも同性を好きになるという違和というかなんというか」
「ん-、僕にとっての最初の違和感なんですよね。それまでは好きなものを選んでいただけだったのですが、女の子は将来的に結婚して子ども産まないといけないという頭がありました」
「社会の当り前に自分が馴染み始めた時に女の子を好きになって、あれって思った違和感。自分は男なのか女なのか考えだしたのはそれがきっかけでした」
卒園式はタキシード、入学式は緑のランドセル
「初恋の前まで、幼少期とかは何か違和感とかはなかったのですか?」
「遡って考えてみると、ランドセルが緑色でしたし、髪を伸ばすのとか拒否していましたし、男の子っぽい服が多かったです」
「保育園の時とか、男とか女とかどうってのはなかったと思います。僕が好きなものを親に買い与えてもらっていただけだったのですけど、結果的に男の子っぽかったかなって」
「保育園の卒園式とか七五三の時もタキシードだったんですよ」
「え!タキシード! 」
「自分で着たいって言ったんです。両親は恐らく女の子っぽい服を着てほしかったのだと思うんです。僕長女でしたし。子どもの意思を尊重する両親だったので、着せてもらいました。過去の自分を見ると改めて男の子だったなと思います」
中学校の制服が嫌だけど、それが当り前の世の中
特段男女を意識することはなかったものの、好きな服を選んでいたら結果的に男の子っぽ
かったというきんちゃん。小学校から中学校にかけての歩みや想いを教えてもらいました
。
「小学校の時は私服だったんですけど、中学で制服になるんですよね。嫌なんだけど、一般的にあたりまえというか決まりごとだったので、嫌とか言わなかったけど、自分の中でしっくりこない感じがしました」
「仕方なく、世の中のあたりまえと思って着ていたのですね」
「そうですね~」
「確か中学校3年で修学旅行に行くんですけど、『どうしてもズボンはきたい』って担任に言ったらダメと言われて、食い下がっちゃって制服で行きました。やっぱりズボンはきたかったのですけどね」
「中学生になって制服のほかにもいろいろ違和感とか嫌なこととかが出てきましたか?」
「見かけとか意識し出すじゃないですか、思春期って。身体の変化もあって」
「僕、小学校5年生の時に生理がきたんです。あと、胸も膨らんできて。でも、僕は楽天的だから『しょうがないか』みたいな感じで受け止めて過ごしていました。身体の変化はあたりまえ、女子特有ということで。生理そのもの自体が嫌というより痛みのほうが嫌でしたし」
「何か抵抗するってこともなく、仕方なく受け入れていた感じですか」
「今どうこうできないし、胸なかったらいいなとか背がもっと高かったらよかったなとかあるけど、それはどうしようもねーなと受け止めつつ、なんか過ごしていました」
「でも、できることはやりたいって思ってて。小さい頃は髪長くて中学校1年生まで一本に縛っていたんですけど、中学校2年生の時にバッサリ短く切りました。制服のスカートの中にジャージはいていましたし。私服の時は今まで通り男の子っぽい恰好をしていました」
同性が好き。自然に受け入れてくれた仲間
「まわりの同級生とかは、男の子っぽいきんちゃんをどう見ていたのかとか、受け入れてくれる感じだったのかとか、教えてもらえますか?」
「中学校2年生の時に仲良くなった子がいて、遊ぶようになって、何か好きだなって気持ちになって付き合うようになりました。自分のことを伝えるわけでもなく受け入れてくれました」
「相手は女の子ですか?」
「そうです。仲のいい友達は僕が女の子を好きになるってことは知っていました。特段カミングアウトをしたことはないんですけど、自然に受け入れてくれていて。『キンはキンだよ』って感じで、彼女ができても、あーそうなんだって感じでしたし」
「まわりに恵まれていたし、いじめられもしなかったです。性別や見た目で決められたこともなかったですね」
トランスジェンダーのことを知ったのは20歳過ぎてから
きんちゃんは、同性を好きになることも含めて周囲に受け入れてもらって過ごしてきました。その後、理美容の学校に通い国家資格を取るも、運送会社に就職。
それまでの間、男の子っぽい恰好が好き、女性が好きということはわかっていても、トランスジェンダーであるということまでは思い至りませんでした。
掲示板で積極的に友達作り
きんちゃんがセクシャリティについて詳しく知るようになったのは20歳を過ぎてから。その後の歩みについて教えてもらいました。
「20歳過ぎてからセクシャルマイノリティーのコミュニティがあるって知りました。トランスジェンダーとかの名称ですらその時に初めて知りました。それまでそういう友達いなかったですし」
「昔は今みたいなLGBTQとかトランスという言葉が世の中に出ていなかったですしね」
「当時はチャットやmixiやアメブロとかでセクシャルマイノリティー当事者の人が集まっているのを見つけて、そういう名前があると知りましたし、そこでやっと仲間がいるとわかったんです。検索して、掲示板で友達作って仲良くなって遊んでみたりしました」
「リアルで会ったのですか?」
「はい、リアルで会うの怖いタイプではなかったので。チャットで連絡とって仲良くなったら連絡先交換して、札幌の人だったら『遊ぼうよ』みたいな感じで。けっこう友達作っていました」
「けっこう積極的だったのですね! 友達が増えていろいろな情報が入ってきたのではないですか?」
「そうですね、まわりにちょっとずつホルモン治療とか性別適合手術を受けるという人が増えていって」
「でも、僕はまわりになんとなく反発するかんじで、このままでいいや、自分のことをわかってくれる人がいればそれでいいって思っていて」
「まわりに影響されたり治療や手術しないと辛いと思ったりはしなかったのですかね」
「30歳くらいまで治療とか手術とかは考えていなかったです」
「20代の頃に好きな人とか彼女が何回ができたり別れたりしたのですけど、誰も手術したほうがいいって言う人いなかったです」
「僕の中性的なところが好きって人が多かったのかなって。男性的な部分を強要されることもなかったですし、まわりの友達も」
自分に合った服を着たいだけ。男女は関係なし
「その頃、見た目とか雰囲気はどんな感じで過ごしていたのですか?」
「ボーイッシュな女性って感じです。スポーツやっていそうな女の子って見られ方をしていました」
「服装は男の服を着るというより自分の好きな服を着ていたら、それがたまたまメンズっぽい服だったって感じです。レディースとかメンズにこだわることなかったですし、自分にあった服を着ていただけです」
「着たい服を着るみたいな感じで、精神的に深刻になるようなことはなく過ごしてこられたのですかね」
「女の子に間違われると嫌でしたけど、『うわーまただよ、死にたい』みたいな深刻な感じはなかったです」
28歳で運命の人に出会い、ホルモン治療を考える
ただ、このあときんちゃんは一気にホルモン治療と性別適合手術へと向かいます。そのきっかけや当時の想いについて、続けて語ってもらいました。
「28歳の時に出会った人、ものすごい好きになっちゃったんです。結婚を考えたいな、生涯一緒にいたいなって気持ちが大きくなって。そこではじめて治療をしようかなと考えました」
「日本は同性婚ができないので、戸籍上女性の人が女性と結婚するには戸籍の性別を変えないといけないですしね……。しかも今の日本では海外と違って戸籍の性別を変えるには手術が必須ですしね……」※2023年現在
「でも、相手は手術を望んでいなかったんですよ。健康上のリスクとか金銭面とか。『全然そのままでいいよ』って言ってくれていましたけど、ちょっとずつ気持ちが大きくなって止まらなくなって」
「で、彼女の友達がものすごく僕のこと反対していたんです」
「友達が反対していた?」
「そう。子どもが産めない、そもそも結婚できない、そういうことで僕と付き合うことを止められていました。付き合っていた時も友達が来たら僕は隠れていましたし」
「当時は『なんだよ、いいじゃないかよ』と思っていましたけど、今考えると友達思いの友達だったのだなと感じます」
「さらに、彼女の両親も反対していたんです。まぁ、自分が両親だったら反対するよなと思うし……」
「ってことがいろいろあって、その時の気持ちとしては治療したい、手術したい、そして結婚したいという想いが強かったです」
「それで、その後治療へと進むのですね」
結婚のために戸籍の性別変更、そのために性別適合手術
きんちゃんは、30歳になってホルモン治療を始め、その後性別適合手術を受けました。どんな経緯でどのように進んでいったのか、少し詳しく教えてもらいました。特に、タイでの手術のお話は必見!
急いで診断書を取りタイへ渡航
「日本で性別適合手術を受けるにはガイドラインがあるじゃないですか。それに沿って進めていくとものすごい時間かかります。北海道だと札幌の某病院のGIDしかないですし」
「で、他のルートを進んだのですね」
「その時、焦っていたんです。30歳だと遅いよなと思ってしまっていて」
「診断書なくてもホルモン治療できるところを探して札幌市内で見つけて、ここに2年通ってホルモン治療をしました」(※注:この時の病院は現在ありません)
「その後診断書が必要になりますよね」
「そうです、タイに手術行く時に診断書が必要になります。診断書取れるところが道内に一か所あったのですけど遠い場所だったので行けなくて……」
「でも、比較的札幌から近い病院で診断書を取ったという人がいて、その人から聞いてそこに行って、3,4回カウンセリング受けて診断書をもらいました」
「自力で調べるにしても大変ですし、経験者の情報は頼りになりますね」
「タイの手術も友達の紹介です。タイで手術したかったのでアテンド会社を調べていたのですが、友達がよかったよって言っていたアテンド会社を紹介してもらって予約して行ってきました」
「ホルモン治療を始めてから2年後ですかね」
「そうです、32歳の時に手術しました」
「タイの手術、金額どのくらいかかりましたか?」
「金額、旅費とかアテンド費用含め150万円くらいです」
「術式が何パターンかあって、お腹を切るか、内視鏡か、膣式かとか。僕は高いけど傷口が小さくて痛みが少ないっていう内視鏡にしました。胸オペも同時にしています」
「タイにいた期間はどのくらいですか」
「約2週間です。1週間は手術して入院で、あと1週間は病院の上にあるホテルに泊まってタイ観光ってかんじです」
「ただ、僕すごいビックリなことがあったんです」
タイでの性別適合手術のドタバタ劇を赤裸々に告白
きんちゃんがオペを受けた病院は、タイのガモンクリニック。アテンドさんを通じて手術の予約をし、休暇も取って万全の体制で臨んだのですが……。
「手術を担当する先生が、急きょフランスの学会行くとかいって、手術の1週間前になってオペできないとか言ってきたんです」
「え!ありえなくないです?」
「タイというか海外だからそのへんアバウトなんでしょうね」
「さすがにアテンドさんも『それだめだろ』って医者に言ってくれて。で、タイに着いた当日の夜なら手術やってあげると言われたんです。手術の1週間前に……」
「タイに着いて、その日にいきなり手術ですか?」
「そうなんです。行った当日に手術になっちゃったんです。ほんとは着いた翌日だったのに」
「手術の何時間前から絶食になるんですけど、当日オペなんで飛行機の中から絶食になっちゃって」
「なかなかきついですね……」
「当日タイに着いたらいきなり毛を剃っているかチェックされて。腋と下。腋毛がちょっと剃りが甘くて残っていて、水だけでジョリジョリって剃られました(苦笑)」
「そのあと浣腸されて。ほんとは多分もう少し弱い薬のはずなのでしょうけど、当日だからかメチャきついのされて、すごいお腹いたくなって、下からも上からも出ました(苦笑)」
「ひゃー、、激しすぎますね……」
「そのあとすぐ点滴されて、30分くらいしたら『行くよ』ってオペ室運ばれて」
「台に上がったところまで覚えていたのですけど、そのあと麻酔で記憶なくて。で、知らない間に終わっていて、気づいたらベッドにいました」
「目が覚めたら終わっていて病室だったのですね」
「いや、病室というか、タイのICUのようなところにいました」
「明るくなってきたらカーテンあけられて隣にも人がいたんです。僕1人だと思っていたら、隣にも手術終わった人が何人もいたんです。ほかに人がいるの知らなくて、めちゃ独り言を言っていたんで……、恥ずかしかったです」
性別適合手術の後はタイ観光!でも辛い
目が覚めたのち個室に戻され、同行していた彼女と再会。
その後は1週間入院し、退院後は病院の上にあるホテルにて1週間宿泊です。傷口チェックなどのため下の階にある病院へ毎日通うものの、終わってからはアテンドさんが観光につれていってくれたそうです。
「手術したついでに観光できるのはいいですね」
「ほんとそうです」
「でも、実際はけっこうきついですよ。体力的に。暑いじゃないですか、向こうって」
「行ったのは5月後半から6月でちょうど雨季とかぶって蒸し蒸しで……。気温が40度くらいの日もあって、術後に観光すると具合悪くなって膝ついてしまったこともあります」
「ただでさえオペ後だと体力消耗しているのに、蒸し暑いんですもんね……」
「オペ終わったあと、おならが出ないと水も飲めないんです。オペ前から絶食が続くので、急にやせちゃいました。なので、はじめ歩く練習からしました」
「胸オペで胸を取るので、オペ後しばらくドレーン(ホースみたいなの)が身体についたままなんです。体液をためるような丸いものが4つくらいついていて。乳首から乳腺を取る手術をしたので、管を入れられてそこから体液を排出する装置です」
「入院時につけているのですね」
「様子見ながらしばらくつけていて、ある程度よくなったら、予告もなく突然医者と看護師がやってきて、ビューっと引っ張られて抜かれるんです」
「それがまた気持ち悪くて気持ち悪くて」
「思ったよりもけっこう長く入っているんですよ、太いチューブ。ピッて抜く感じでなくて、ほんとビューーーーーーーーって感じで。『うわぁぁぁぁぁぁぁぁ』って思いました」
「麻酔しているわけではないんですよね」
「そう!元気だから抜く様子がぜんぶ見えちゃうんです。しかも予告もなくある日突然やってきて抜かれるんで、もうビックリ」
「……(絶句)」
性別適合手術の時、仕事はどうした?
驚きと衝撃の連続だったタイの2週間。ハプニングがいろいろあったものの、無事に手術を終えて健康のまま日本に帰国しました。
さて、2週間もタイに行くとなると、仕事はどうしていたのでしょう?
「2週間タイでその後もすぐに働けないと思って、1カ月くらい休まないとダメだと考えていました。正社員だったのですけど、会社辞めないと無理だなと思っていました。迷惑かかるから」
「そのときの上司に相談したら、『有給全部使っていいから行ってこい』って言われたんです。『辞められたくないし、人生に関わることだから行ってこい』って」
「いい会社ですね! いい上司というか」
「それで約1か月休んで仕事復帰しました」
「会社に対して、手術とともに性別を変えることについては前々から言っていたのですか」
「タイに行くと決まってから初めて言いました。同じ職場の人は私がトランスジェンダーだということを知っている人は何人かいましたけど」
「手術するとなったらカミングアウトが必要で、いよいよ上司に伝えたって感じです」
「伝えたのは直属の上司だけですか?」
「上司になる営業所の一番上の人と、その上の人に対して報告しました」
「職場のみんなに知られることはなかったです。みんなの前でカミングアウトする必要はなかったです」
「社内でどのように伝えられていたのかはわかりませんが、長期で休むと言ってくれていました」
「ほんと理解ある会社ですね」
「その後戸籍の性別を変えるとなると、身分証や保険証の兼ね合いで会社にまた伝える必要がありますよね」
「そうです。身分証が変わるので会社にも報告しました。人事や総務とやり取り、すごいスムーズに進みました。保険証や年金手帳なども」
「会社を含め、自分のことをまわりに伝えることの抵抗感とかは特になかったのですか?」
「まわりに対してカミングアウトって、基本的にする必要もないのかなと思います。自分がこういう人間だと言う必要もないと思っていました。それは今も変わらず、です」
「もし聞かれて言わないといけない時は言ってはいたけど、自分からわざわざ言うことはなかったです。その時の人が僕のことをどう思うか、思う性別でいいと思っていました」
「だから自分から言うことはなかったですし、会社は休む都合や手続きのために必要だから伝えたってだけですね」
戸籍の性別変更の手続きを進める
32歳の時にタイで性別適合手術を受けて帰国をし、仕事に復帰したきんちゃん。
帰国してすぐに戸籍の性別を変更し、その後結婚もしました。
「タイの病院で、手術をした証明書を書いてくれるんです。日本人駐在スタッフもいるので、英文書類を日本語にしてくれて」
「それを持って家庭裁判所に行って性別変更の申し立てをしました」
「あれ、診断書は必要なかったのですか?」
「そこで2名の診断書が必要になるんですよ。書く欄があって」
「で、ホルモン治療受けていた先生と、はじめに診断書いてもらった先生にお願いして書いてもらいました」
「すんなり変更できましたか?」
「そうですね」
「自分はなぜ男性になりたいかとか、どうして性別に違和を感じたのかとか、書類に書いて提出して、家裁で面談するんです。1時間くらい。これからどうしていきたいかとか聞かれて」
「それから1ヵ月くらいして郵送でお知らせが届きました。性別変更を認めるって」
戸籍の性別を変更し、結婚
こうして無事、きんちゃんは性別を女性から男性へと変更することができました。
きんちゃんが手術をしたいと思ったきっかけは、戸籍の性別を変えるため。そもそも戸籍の性別を変更する目的は、ずっと一緒にいたいと思った女性と結婚をするためです。
戸籍の変更が終わってから約1年後、無事に入籍をしました。
「相手のご両親、僕の手術前に『結婚のために手術するならしなくていい』と言ってくれていたんです。はじめは付き合うこと自体反対していたけど」
「会うようになってからはそういってくれて、『結婚しなくても認めているから』と言われていました」
「けど、それだけではなく僕の人生にも関わることだから、僕がそうしたいから、そうするんです、と伝えました」
戸籍が変わり、結婚を前に再び両親のもとへ訪れました。
「戸籍の性別変わったので、結婚させてくださいと言いに行きました。婚姻届けの保証人になってもらって」
入籍した翌年の11月、結婚式もしました。
「友達もわーっと呼びました。でも、妻側の友達や親戚は、僕が昔女性だったことを知らない人もいるので、あえてトランスジェンダーであることなどの話にはならず、それはそれで終わりました」
トランスジェンダー当事者のロールモデルになる
手術をして戸籍の性別を変え、結婚もしたことで、しばらくは男性としての生活を堪能していたそうです。いわゆる埋没生活。
ただ、まだ手術していない友達や治療していない友達から、きんちゃんの手術の話などさまざまな経験談を聞きたいと言われることが増えていったそうです。
ホルモン治療や性別適合手術で悩んでいる人のために
その都度、手術についてやアテンド会社のことなどを説明していくうち、自分にも役立てることがあるのだと感じるようになったと言います。
それからきんちゃんは決意します。
「僕はロールモデルになる」
「性別違和のある人で、表に出ることができない人や治療や手術で悩んでいる人にとってのロールモデルです」
「もう少し具体的に言うとどんな感じですか?」
「手術終わってしまうと過去の自分と比較して前に出たくない、埋没したいという人が多いです」
「でも、僕がロールモデルとして表に出ることで、ほかのトランスジェンダーの人が生きやすくなればいいなと思って。こんなにいろいろ聞かれるから、何か活動をして役立てられたらいいなと思いました」
さっぽろレインボープライドの実行委員になる
2018年、たまたまTwitterで見かけたさっぽろレインボープライドの説明会に参加をしたところ、そのまま実行委員として入ることになりました。2023年現在、さっぽろレインボープライドの副実行委員長を務めています。
「それで、現在に至るのですね」
「そうです。それ以来、いろんなところに顔出しますし、取材とかも受けています」
「きんちゃんが表に出ることで、家族から何か言わることはありませんでしたか?」
「妻やむこうの両親は、はじめそんな風に表に出るなんて思っていなかったようで、喧嘩になったこともあります」
「でも、『ロールモデルになりたい、でないとほかのトランスジェンダーが出にくい、顔出しナシとかありえない』とか、そういう話を妻にして理解してもらえました。僕が表に出ることの不安とか気持ちはわかるのですけど、わかってて結婚したと思っていたので、言われてショックでしたね」
「でも、最終的には『やりたいようにやっていいよ』と言われました」
「偏見とか誹謗中傷とか今もぜんぜんありますしね」
「やっぱ叩かれることもあるしネットで晒されると消えないし。表に出ることは簡単ではないのですけど、僕はむき出しで!(笑)」
僕のビジョンは、さっぽろレインボープライドの活動が必要なくなること
最後に、この先どうしていきたいか、どんな世の中になればいいのかを伺いました。
「しばらくは、さっぽろレインボープライドの活動を続けないといけないと思います」
「最終的なゴールは、さっぽろレインボープライドのような活動がなくなること。必要なくなること。これが僕のビジョンです」
「まだまだ時間かかると思います。でも今の若い人たちは寛容ですし、セクシャリティとか見た目とか関係ない感じになってきています。そういう時代になってきています」
きんちゃんにとっての最終ゴールは、さっぽろレインボープライドのような活動がなくてもよい世の中になること。それまでは当面、ロールモデルとして活躍をし続けます。