当事者ヒストリー|性別違和を確信するまで40年、カミングアウトし男から女へ

当事者ヒストリー
この記事は約22分で読めます。

当事者ヒストリー」は、生まれた身体の性別に違和や疑問を感じるLGBTQ(セクシャルマイノリティ)当事者のインタビュー記事です。
性別に悩む一人のノンフィクションの物語、当事者のリアルなヒストリーをご案内します。

今回紹介する方は、今回紹介する方は、幼少期から性別違和を感じながらも自分のセクシャリティを40年近く誤解していたというノブカさん。

性別違和がありつつ、『私は変態』と誤解して過ごした40年」
「人生の折り返しで男性から女性へ。好きになるのも女性」
「過去は消せないし捨てられない。全人類にカミングアウト

トランスジェンダーのレズビアンとしてカミングアウトした現在と、誤解していた過去について語ってもらいました。札幌医大病院のGID初診の抽選に関することも実体験を教えてもらいました。

インタビュー時期|2023年6月上旬

 

「当事者ヒストリー」は以下を目的としたインタビュー記事です。

  1. トランスジェンダーやXジェンダー、ノンバイナリーなどの当事者のために、仲間がいるということを伝え、みな日々どんな想いで過ごして乗り越えてきたかを伝える
  2. 当事者を知らない方に当事者の悩みや想いを知ってもらう

考え方は人それぞれ違うため、異論を感じる方やマイクロアグレッション(無意識の偏見や無理解による精神的ダメージ)を受ける方もいらっしゃるかもしれません。そのような方は、記事から離れて頂ければ幸いです。また、取材対象者への攻撃や誹謗中傷などもしないようお願いします。

 

2023年のノブカさん

※記事後半など体裁が崩れており、ご覧になりにくく申し訳ございません。現在修復中です。

肌色の折り紙で股を隠して目覚めた性の違和感

6歳くらいnobukaさん

ノブカさんのセクシャリティは、トランスジェンダー女性(MtF)でありレズビアン。生まれた身体の性別は男性ですが女性と認識していて、恋愛対象の性別は女性です。
自身のセクシャリティについて明確に理解して腑に落ちるまで40年近くかかり、それまでは自分のことを変態だと思いこんでいたと言います。どんな想いで過ごしてきたのかを伺いました。

幼少期に性別の違和感

「性別に違和感を感じたのはいつ頃からですか?」

「幼稚園生の頃です。違和感というか、『私にはなんでチン〇ンがついているのだろう。なくならないのかな』って思って」
「家にあった肌色の折り紙を折り畳んで股間に挟んで消えるかな、なんてことをしたこともありました。その時の光景はすごいはっきり覚えています」

「幼い頃から女の子になりたいとか、私は女の子だって思っていたのですか?」

 

「そこまで明確には思っていなかったかもしれません。スカート履きたいと駄々をこねるようなことは多分なかったです」
「というより、男の子として生まれたのだからスカートを履くなんで発想すらなかったかもしれません。まだ思いきり昭和時代で、『男は男、女は女』が当り前の世の中でしたし」

「ただ、小学生の頃は男の子と外で野球とかして遊ぶよりも、女の子と一緒にいて話したり遊んだりしているほうが居心地がよかったです」

 

暗黒の6年間男子校、志望校選びは男女比優先

「そのまま中学生や高校生の時も、違和感がありつつも明確に性別が違うと思ったり女の子の服を着たりとかしなかったのですか?」

「それが私、中高6年間男子校だったんです」

「えー、なんで男子校に行ったのですか?」

「当時の受験戦争で、親にここ受けろって言われて、そのまま素直に受験して入学して。この時、特段性別のことまでは考えていなかったんですよ」

「もう、暗黒というか地獄の6年間でしたね。まわりに男しかいないんですもん。むさ苦しいし息苦しいし、属している感もないし、居心地の悪いこと悪いこと(苦笑)」

 

「たとえばどんなことが息苦しかったり辛かったりしましたか?」

「体育の授業で柔道とか、身体が触れる場面は本気で気持ち悪すぎて嫌悪感ハンパなかったです。柔道とか水泳とか、着替えも嫌だったので時々仮病で休みました」

「あと、思春期なので典型的な中学生の男子トークとか高校男子の遊びとかあるじゃないですか。一緒に加わってもなんかしっくりこないんですよね……。メンズの服にも全然惹かれませんでしたし」

 

「性別違和とは別に、まわりの男子に恋するとかはなかったのですか?」

「100%なかったです。私、昔からずっと恋愛対象が女性なんで、男子校にいる限り恋愛対象になる人なんてまわりに誰一人いないんですよ」

「当時はSNSどころかネットもない時代でしたので、女の子と知り合う機会というか女の子と話できる機会は文化祭くらいでしたし」

 

「かなり厳しい環境だったのですね……」

「そうですね、その頃の私、多分鬱だったと思います」

「そんな状況だったので、大学受験の勉強の時に赤本(志望校の過去の入試問題をまとめた赤い表紙の本)読む人多いと思うのですけど、あれで私、中の問題を見る前に大学概要欄で男女比ばかり見比べていました」

「女子比率が高めな大学や学部ばかり受験先に選んでいたんですよ。男子比率が高いところは問題を見ることなく却下って感じで」

 

「志望校をそういう選び方をしていたのですね(笑)」

「そんなこと誰にも言えなかったですけどね……。でもその時はほんと、とにかく男ばかりのに環境は何が何でも行きたくなかったんですよ。さすがに女子大並にほとんど女性しかいないところは、環境が激変しすぎちゃうので避けました」

 

トランスジェンダー女性でレズビアンの概念がなかった

大学生時代のnobukaさん

大学生時代のノブカさん

ノブカさんが過ごした20代と30代は1990年代から2000年代にかけて。セクシャルマイノリティのことを笑いの対象にする風潮が強かった世の中でした。
男は男らしくすべきというプレッシャーと、自分は女っぽいけど女が好きという、当時は理解できなかった感情を抱えながら過ごしてきたそうです。

事実をそのまま伝えているため、この先の記事内に差別的な言葉が出てきます。ご了承下さい

女の子になりたい。20歳で気づいた自分の素

「大学生になって少し変わりましたか?」

「そうですね、男女双方が普通にいる環境になって気分はだいぶ落ち着きました。でも、男子と遊んでいても居心地悪いというかしっくりこないのは変わりなかったです」

「やっぱり女子と話したり遊んだりしているほうが心地よい感じで。ただ、若い頃って男女は友達同士というより恋愛対象になるか否か見られることが多くてちょっと微妙な感覚はありました。ステレオタイプの男らしさを求められるようなことが多くて」

 

「大学生の頃は女性になりたいという気持ちは強かったのですか?」

「そうですね。大学生の時にはっと気づいたことはありました。やっぱり私の素は男ではなく女なのかなって。それ以来、しばらくの間は髪を伸ばし始めて軽く茶色に脱色もしていました」

 

「気づいたことってどんなことですか?」

「私が通っていた大学はその当時、学園祭の最終日に学生がみんなで青山通りを渋谷まで仮装をして行進するのが恒例行事だったんです。私はメイクをしてセーラー服を着てコギャルというかヤンキー女子学生のような恰好で歩いたんです」

「その時に、『これが私の本当の姿なのかも』って感じたんです。行進が終わって服を脱ぐのがすごい悔しいというか、このままがいいって気持ちで」

 

「目覚めたのですかね。そのことをきっかけにトランスジェンダーだと自覚をしたのですか」

「やっぱり私は女なのかなって思いはしたのですけど、当時は自分のことをトランスジェンダーと思いもしませんでした。まだ1990年代前半なのでそんな概念すら知らなかったですし、単に女装って感じだったのかもしれません」

 

「その頃ですとネットもまだない時代だと思うので、調べて情報を得たり仲間に知り合ったり、誰かに相談するとかもできなかった感じですかね」

 

「誰かに言うなんて100%ありえなかったですね、恐ろしくて」

「その頃って、男女の異性愛があたりまえって世の中でしたし、保毛尾田保毛男(ほもおだほもお)みたいにテレビのバラエティーで同性愛者のことを『オカマ』とか『ホモ』って笑いの対象にしちゃうような時代だったのでね……」

「そういう風潮だったので、男なのに女の恰好するってヤバい人って思っちゃってました。さらにそのうえ、オカマで女が好きって、かなりヤバい奴って思ってました。『これ、絶対変態』って」

 

「いやいや、変態って……。男性から女性にトランスする人で女性が好きになるってありえないと誤解をされていたということですかね。トランスジェンダー女性のレズビアンって考え方というか概念を知らなかったということですかね」

「そうです。私の恋愛対象が男性だったら、その頃自分のセクシャリティに気づいていたのかもしれませんけど、女になりたくて女が好きってありえないって誤解してて。その誤解がずーっと、大学生の時から40歳くらいまで続いてました」

 

どうやってメイクや服を覚えた?

「20代も30代もずっとクローゼットだったのですかね」

「そうです。たまにレディースの服を着たりメイクしたりしていましたけど、そんな恰好していること100%隠してて、墓場まで持っていくつもりでいました。誰かにバレたら変質者だって通報されて逮捕されるかもって真剣に思ってたくらいなんで」

 

「そうだったんですね……」
「ネットとかない時代にクローゼットで、服とかメイクとかどうやって調べていたのですか?」

 

「服は、女の子の友達に『体系的にサイズが合わないんだよね』とか言い訳言って買い物付き合ってもらってユニセックスっぽい服を買ったとか。当時今より10㎏以上痩せてて細身だったので……(苦笑)」

「あとは一人で友達や彼女のプレゼントを探している風でショップに行って品定めするとか。渋谷109とかすごい好きというか憧れで、ウィンドーショッピングが多かったのですがちょくちょく行ってました。男1人だと浮いててかなり恥ずかしかったですけどね」

 

「通販とかあんまりない時代なのでお店に買いに行くしかないですもんね。人の目を気にしつつ。メイクはどうしていたんですか?」

「実は20代の頃は芸能関係というか役者してたんです。出演する時にメイクするので、そこで先輩の役者さんとかメイクさんのやり方を見て覚えたのがはじまりです。まぁ、ドーラン使ったメイクなので日常のとは違いますけどね」

 

「へー、そうなのですね。それは役得というか何というか(笑)。そこでは男性として男性の役をしていたのですか?」

「そうです。今の私にとっては残念ながら(笑)」

「でも、頂く役柄が典型的な男性のような役ではなくて、少し弱々しいキャラの男性とか中性的な男性の役が多かったです。後で考えると私の素を見抜かれて配役されただけだと思うんですけど、その頃は『男は男らしくするもの』と純粋に信じこんでいたので不本意な気持ちでした」

 

「男らしくふるまいつつも、女性的な面とか中性的な面を見抜かれていた感じなのですかね」

「そうですね~。自分で自分のセクシャリティに気づけなかったですけど。遊び友達とか仕事先の人たちとかにもそういう目で見られていたのかなって思います」

 

「ほかのところでもご自身のキャラクターについて何か言われたりしたのですか?」

「私、だいたいどこ行っても『女っぽい』とか『オカマみたい』って言われることが多かったんですよねー。あとは『もしやホモ?』とか『実はゲイなんじゃない』とか」

「恋愛対象は男性でないので『男興味ねーし』って反論しつつも、女性っぽいと言われると一応反抗しつつも実は内心すごい嬉しかったんですけどね」

 

新宿2丁目とゲイを誤解していた

「30代になって会社員だった時、後輩にゲイをオープンにしている子が入社してきたんです。その後輩に、『あなた、素質あるわよ』って言われたこともあって(笑)」

「ゲイの後輩ができて、セクシャルマイノリティの知識が増えたとか、つながりができるきっかけになったとか?」

 

「いやー、それが逆なんです~」
「いつだか、その後輩が新宿2丁目を案内するって言って、会社の男女数人で金曜の夜にオールで案内してくれたんです。でも、連れて行かれるところがゲイバーかゲイのクラブばっかで……、その子がゲイだから当たり前なんですけどね」
 
「店内どこもほぼ男性で、その場にいた人たちから『ねー、ハッテンバ行こ♪』とか誘われて『も~、絶対無理!』ってなって、始発前にタクシーで帰ってきちゃいました。それ以来、2丁目は私が行く街ではないって思っちゃって。それから数年間2丁目に行くなんて考えもしかなったです」

 

「セクシャリティが違うと行くところも全然違いますもんね……。そこでも誤解しちゃった感じなんですね」

「そうなんです。今じゃ2丁目すごい行くのに(笑)」
 
「ゲイの方々にすごい失礼な言い方でほんと申し訳ないのですけど……、昔から『ホモ』とか『ゲイ』とか言われてきたので、その頃ゲイの方に対して抵抗感があったのかもしれないです。あと、若い時に男性から性被害に遭ったことが何回もあったんで特に……」

 

「性被害とかあったんですか……」

「けっこうありました。犯されはしなかったのですけど、混んでる電車やエレベーターとかで痴漢されたりトイレで覗かれたり、何度もあります。街中で突然私の股間をズボンの上からムニュって握って逃げていった男とか、私がトイレで小用足していたら真後ろに下半身丸出しで仁王立ちして私見ながらオナってる奴とかもいましたし……」

 

「うわ……、怖いですね……」

「当時私は男性だったので、男狙いの変質者だと思うんですよね。私に隙があったのか、こいつならいけるって思われたのか。そういうことする人はごく一部の人で大多数は関係ないって頭では理解していても、そういうことが何度もあったんで、当時は先入観でゲイはイヤって感じになってたような気がします。セクシャルマイノリティ自体を毛嫌いしていたかもしれないですし」

 

「自分のセクシャリティに気づくどころか、セクマイ自体をイヤって感じだったのですか」

「そうですね~、自分がセクマイなのに(笑)。結局、『私って何者なんだろう、やっぱ単なる変態かな』って思ってました。40歳手前くらいまで」

 40歳目前でやっとわかったセクシャリティ

40歳くらいのnobukaさん

イベントに通っていた頃のノブカさん

長い間、自分のことが何者かわからず過ごしてきたnobukaさん。2010年代になってセクシャルマイノリティのイベントや人脈ができるようになり、正しい情報も流れるようになってやっと自分の本当のセクシャリティに気づいたと言います。
どんなことがあったのか、どんな想いだったのか聞いてみました。

転機は、日本最大級の女装イベント「プロパガンダ」

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「40歳近くになって自分のセクシャリティに気づいたきっかけは何だったのですか?」

nobuka
「2010年くらいだったと思うのですけど、新宿で『プロパガンダ』っていうニューハーフさんとかが集まるイベントが月1位であったんです。『女装』ってググったら『日本最大級の女装イベント』って出てきて、『なんだこれ!絶対行かなきゃ』って思って」
「このイベントで自分のセクシャリティに気づいたというか、セクマイの世界を知ったって感じです」

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「そうなんですね、そのイベントに行ってどう感じられたのですか?」

nobuka
「行ってみたら、私と似たような人が何百人もいて、もうビックリというかホッとしたというか。どぎつい衣装の人もいましたけど、話してみたらみなさん別に変な人って感じでもないし、みんな楽しそうでしたし。何回か行くうちに、私、別に変態じゃないのかなって思うようになりました」

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「そのイベントけっこう通ったんですか?」

nobuka
「そうですね。ただ、その頃既に東京から札幌に引っ越してたんで、さすがに毎月は行けなかったです。都内で仕事があるついでとか、実家に帰るついでにって感じで2,3カ月に1回くらい行ってたような気がします」

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「北海道からけっこうな頻度ですね(笑)。そこで仲間ができて自分のセクシャリティについても気づいたのですかね」

nobuka
「そうですね。仲間もできましたし、新宿2丁目にも少しずつ行くようになりました。数年前の誤解も解けました」

女装と言われることへの抵抗感

nobuka
「ただ、この時はまだ自分のセクシャリティについては明確にはわかってなかったです。というか、女装されている方々とけっこう何人も話したのですけど、なんか自分と感覚が違う人が多いというか、モヤモヤって感じがしてきたんです。別にその人たちが嫌いってわけではないのですけどね」
「で、私は何者なんだとまた思うようになりました」

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「モヤモヤ感とか違うってのは?」

nobuka
「その当時に知り合った女装さんの多くが、趣味で週末に女装をしている方って感じだったんです。中には『女装ってカッコいい』とか『女装したほうが女にモテるから女装してる』って方とか、あとはカマレズっていって女装さん同士でエッチするのが目的な方とかもいて」
「私に関しては、カッコいいとかモテるために女の恰好をするって考えたこともなかったですし、カマレズも100%する気なかったですし、趣味って感じでもなかったですし……」

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「女装さんといっても、いろんな方がいらっしゃいますもんね。トランスの方もいれば趣味の方もいれば、ゲイの方のドラァグクイーンも女装ですしね」

nobuka
「そうですよね。もちろん、人それぞれ考え方や意向が違って当然なので、どれがいい悪いってことはないです」
「私自身に関しては、女装とか女装子(じょそこ)とか男の娘(おとこのこ)言われると、なんかものすごい抵抗感があるんですよね……。女装というか、女を装ってるつもりはなくて、単に素の自分になっているだけというか、本来の自分になるって感覚なんですよ。まわりはどう見ているのかは置いておいて」

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「性別違和がなく異性装をする人と、性別違和があって異性装をする人というか、自分のアイデンティティに沿った性別の服を着ている人との違いですかね」

nobuka
「その違いだと思います。なので、『なんか違うぞ、なんだこのモヤモヤは』って感じでした。とはいえ、私もその頃はクローゼットでたまにしか女性の姿になれなかったので、他の人から見たら『お前も変わらん』って言われそうですけど」

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「リアルな場ではなくネットで知り合ってとかは?その頃だとネットもいろいろあって情報が入ったり同じセクシャリティの人と知り合ったりって機会もあったかなって思いますけど、どうでしたか?」

nobuka
「確かにその頃、掲示板とかmixiとか「T’s LOVE」って女装の人のSNSとかいろいろあって、リアルで会った人にも案内されたこともありました。でも、身バレが怖かったのでセクマイ関連のコミュニティサイトとかSNSは一切タッチしないようにしてたんです。mixiなんて足あとで「実はあの人そうだったんだ」とかバレたらまずいって思ってましたし」

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「慎重だったのですね。その時もまだ自分のセクシャリティについて明確にはわかっていなかったのですか?」

nobuka
「なんとなく私もセクシャルマイノリティなのかなって思うようにはなっていたんですけど、明確にはよくわかっていなかったです。はっきり明確にわかって自覚したのは、2015年に電通ダイバーシティ・ラボの調査データを読んだ時です」

電通ダイバーシティ・ラボの調査データでやっと確信

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「電通ダイバーシティ・ラボの調査データって、チャート式みたいな、セクシャリティのマップがあるデータですよね」

nobuka
「そうそう、それです。それを見て、『私、まさにこれ!』って。私にとってはすごい衝撃的でした。長年の謎が解けたというか、モヤモヤがスッキリしたというか。男性が女性になって女性が好きっていうのはあり得ることなんだって、遅ればせながら誤解に気づいたんです。男として生きなきゃダメっていうマインドコントロールから解放されたような感覚です」

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「誤解が解けるまでかなり長かったんですね」

nobuka
「それからLGBTQのこととか治療のこととかいろいろ調べて、GIDにも通って診断も受けて、ホルモン治療もしてカミングアウトもして今に至るって感じです」

札幌医大病院のGIDの初診は抽選!?真相は?

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「GIDはすぐに通えたのですか?」

nobuka
「いえ、札幌医大病院のGIDなんですけど、3カ月に1回の抽選に当たらないと初診受けられないんです。1年以上抽選あたらない人もけっこういるようなんですけど、私は運よく2回目で当たって2017年の秋から通えたんです」

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「初診受けるのに抽選って、すごいですよね……。抽選ってどんな感じなんですか?」

nobuka
「札幌医大病院のホームページにGIDの案内が出てて、基本的には『予約受付の期間内に予約を」って感じで書いてあるんです。受付が始まったら、『抽選受付しています、希望者は×月×日必着で必要事項を郵送するように』って感じで出ます。必要事項は案内出た時に書いてあるので、それに従って書いて期日までに送るんです』

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「なるほど、そのあと病院で抽選するってことなんですかね」

nobuka
「そうです。送ってからしばらくしたら封書が届くんです。抽選外れましたとか、当たりましたとか」
「私が当たった時は、初診の来院日時がピンポイントで指定されてました。2、3カ月くらい先のド平日の日中。その日時都合悪かったら変更はできなくて、また3カ月に1回の抽選からやり直しになるとも書いてありました」

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「初診を受けるまでなかなかハードル高いですね、抽選のうえ当選しても有無を言わさず日時指定されて都合悪かったら抽選からやり直しって」

nobuka
「そうですね。私はフリーで仕事しているからある程度時間の融通がきくので何とかなりましたけど、一般的な会社員とかだったらこのシステムすごいキツイよなー、って感じました。道内でも札幌まで遠い人とかもかなり大変ですよね」
「まぁ、専門の先生や病院自体が少ないってことでしょうし、それだけ当事者や悩んでいる人が多いってことですよね、北海道内に」

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「現状、仕方がないってことですね……。その後の診断は順調に進みましたか?」

nobuka
「そうですね、トラブルとかは特になかったですけど、時間はすごいかかりましたよ」
「初診から診断(性同一性障害、性別違和・性別不合)が出るまで1年半か2年近くかかりましたし、そこからホルモン治療が実際にスタートするまでさらに1年かかりました。抽選外れた期間とかも入れると、GID受けようと思ってからホルモン治療できるようになるまで3年以上かかってます」

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「かなり時間かかったのですね」

nobuka
「ほんとかかりました。病院行っても診察が5分くらいで終わって次が3カ月後の受診予約とかなので、なかなか進まなかったんですよ。もしかしたら『今すぐにでも手術したい、早く早く』とか言い続けてたらもっと早いペースで進めたのかもしれませんけどね(笑)。もっと短期間で診断下りたという方もいるようなので。このへんの事情は人それぞれだと思うのでよくわかりません」

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「ホルモン治療までも時間かかったのですね」

nobuka
「そうですね~。一応、日本のGIDのガイドラインに則ると、診断が出るのもホルモン治療の認可が下りるのもそれなりに時間はかかるんですよね。3カ月に1回あるGIDのなんとか部会みたいな会議で通らないといけないので」
「あと、私の場合は診断書をもとにパートナーや親兄弟にカミングアウトをして、それから実際にホルモン治療を始めたので余計に時間かかったと思います。身内に話をするまでホルモン治療を待ったので」

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「親しい人にカミングアウトをして理解を得てからホルモン治療を始めたってことですかね」

nobuka
「そうですね、自分1人で勝手にってわけにもいかないなって思ったので。幸いみんな理解あるというかwelcomeな感じだったのでよかったです」

カミングアウトか埋没か、究極の2択

その後nobukaさんは2020年からホルモン治療を始め、戸籍も女性名に変更。トランス女性として公私ともカミングアウトをして過ごしています。

トランスジェンダーの方は、自分のセクシャリティについてオープンにしている人もいれば、望む性別になってからは自分の元の性別を明かさず生きる方、いわゆる『埋没』をして生きる方もたくさんいます。nobukaさんはなぜ埋没ではなく、対外的に自分がトランスジェンダーだと明かして生きる選択をしたのでしょうか?最後にこのへんの事情や想いを聞いてみました。

nobuka
「もし埋没するとしたら、今までの名前と性別がバレないように生きなきゃいけないので、全く知らないコミュニティというか、全然知り合いのいない土地に行くしかないかなって思ったんです」
「仕事関連もそうですし、親戚とか、友達とか、学生時代の同級生や先輩や後輩も、今まで築いてきた人間関係を全て捨てるって、私は無理だなって思いました。もちろんカミングアウトをして不快に思う方や離れる方もいるとは思うのですけど、それは人それぞれ考え方や価値観が違うのでしょうがないって、そこは割り切りました。実際離れた人もいますし」

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「今までの人間関係を切れなかったということですね」

nobuka
「そうですね。そのへんうまく立ち回れる人もいるのかもしれませんけど、私は不器用なので無理かなって。『あの人は私のセクシャリティ知っているけど、こっちの人はカミングアウトしていなくて知らないから気を付けなきゃ』とか、気を遣ったり注意したりって私は辛いなって。それならいっそみんなに言っちゃったほうが、気が楽って思って、公私関係なくカミングアウトしちゃいました」

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「隠し事もなくって感じですかね」

nobuka
「そうですね、もう開き直りですね。いくら手術して身体とか戸籍を変えても、生まれた時から女性の人と全く同じにはなれないですしね。男で生きちゃった40年のギャップは埋まらないし、過去も消せませんし」
「あと、自分の気持ちを隠して生きるのはもういいや、私は私というか、素のまま生きようって。人の目を気にして自分を押し殺してこのまま年老いて死んでいくなんで絶対イヤですし。なので、私がトランスジェンダーだということを誰にも隠さずフルオープンにしています」

カミングアウトするもしないも人それぞれ

カミングアウトをするもしないも人それぞれで、どちらが正解というわけでもありません。あくまで自分がどうしたいか次第。
残りの半生、女性として過ごすことにしたnobukaさん。オープンにしたほうが過ごしやすいという判断をし、今ではセクシャルマイノリティのイベントをはじめ自ら表に出て過ごしています。

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