当事者ヒストリー|女ではなく男と確信、でも女子高へ。性別適合手術で絶望から希望に

当事者ヒストリー (TTさん) 当事者ヒストリー
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当事者ヒストリー」は、生まれた身体の性別に違和や疑問を感じるLGBTQ(セクシャルマイノリティ)当事者のインタビュー記事です。
性別に悩む一人のノンフィクションの物語、当事者のリアルなヒストリーをご案内します。

今回紹介する方は、北海道の道南地方在住のトランスジェンダー(FtM)、TTさん。

「幼少期に確信。私は女の子ではなく男の子」
「現実逃避をするため、共学ではなくあえて女子高校へ進学
手術で性別を変更できると知り、絶望の日々から生きる希望へ」

幼少期からどんな想いで性別違和と闘ってきたのかをインタビューしました。

インタビュー時期|2023年6月上旬

 

「当事者ヒストリー」は以下を目的としたインタビュー記事です。

  1. トランスジェンダーやXジェンダー、ノンバイナリーなどの当事者のために、仲間がいるということを伝え、みな日々どんな想いで過ごして乗り越えてきたかを伝える
  2. 当事者を知らない方に当事者の悩みや想いを知ってもらう

考え方は人それぞれ違うため、異論を感じる方やマイクロアグレッション(無意識の偏見や無理解による精神的ダメージ)を受ける方もいらっしゃるかもしれません。そのような方は、記事から離れて頂ければ幸いです。また、取材対象者への攻撃や誹謗中傷などもしないようお願いします。

 

自分は女の子ではなく男の子

当事者ヒストリー (TTさん)

幼少期の頃、既に性別の違和を感じていたTTさん。幼い頃から女として扱われることに失望したり絶望したりという日々だったと語ります。
ご本人にとって辛い経験だったにも関わらず、率直にその当時の想いや考えていたことなどを教えて頂きました。

物心ついた時に確信

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「性別の違和に気づいたのはいつ頃で、何かきっかけなどがあったのか教えてもらえますか」

 

「幼少期の頃には既に性別の違和を認識していました。きっかけというか、なんというか、きっかけはよくわからないのですが、自分は女の子ではなく男の子だ、でも身体は女の子だと。男の子になることはないということも自覚していました」

 

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「幼少期の頃に明確に自覚されていたのですね」

「そうですね。性別違和を感じている方の中には幼少期に『いつかチン〇ン生えてくる』って思っていたという話を聞くことがあるのですが、私はそう考えたことはなかったです。このまま女の身体に成長していくんだということは知っていました」
「だけど、私は女じゃないんだよな……、と思って過ごしてきました」

 

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「そこまで認識されていたのですね」

「あと、さまざまな場面でちょっとずつ、女として扱われることに失望したり絶望したりということがありました。『やっぱり女として扱われるのか、男として生きられないのか』と」

 

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「差しさわりないようでしたら、たとえばどんな場面か教えてもらえますか?」

「親にスカート準備されたり、用意されるものがみんな赤とかピンクだったり。その都度その都度、男と女と区別される時に必ず自分は女として扱われているということに失望していました」

「小さなことが積み重なっていって、ずっと失望していて、ついに絶望するようになりました」

 

絶望と自問自答の中学校生活

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「絶望だったのですね……」

「そのあと、第2次性徴を迎えて女性であるという現実を突きつけられて……。さらに、中学校は制服がスカートだということに絶望しました」

 

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「身体が変化していく多感な時期ですしね……」

「何かあるごとに、『私は女ではない、男だ』と思っていました」
「ただ、なんで私は男だと思うのだろう。なぜ女だと受け入れられないのだろう。いつも自分で自分に問いかけながら生きてきたんです」

 

「で、高校は女子高に行きました」

 

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「え!?女子高ですか?」

 

あえて女子高校を選択

高校は共学校ではなく女子高を選んだというTTさん。自分は男性だと認識していたにも関わらず女子高を選んだ理由は現実逃避だったそうです。
その当時の心境について、少し詳しく伺いました。

現実逃避のため共学ではなく女子高校へ

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「なぜ女子高に進んだのですか?」

「中学生の頃って第2次性徴を迎えるので、男性の中には体格がしっかりしてくる人も出てきて体格の差がすごく出る時期です。このまま共学の高校に行ったら、私は男の人たちの中で埋もれてしまう、さらに女らしい生き方を求められてしまうと思ったんです」

 

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「男性を目の当たりにすることへの葛藤でしょうか」

「はい、この先それに苦しめられることが見えていたので」
「私服の高校という選択肢もあったのですが、私服の高校行っても『なんでスカート履かないの?』って言われるかもしれませんし。小中学校ではボーイッシュな女の子という扱いを受けてきたので、女子高ならある意味ファンタジーというか、現実逃避できるなと」

 

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「基本的にはまわりに男性がいませんもんね」

「そうですね、男の子っぽい女の子としてある程度自分が曖昧な形で生きていけるので。スカートは中学校で嫌々でも履いてきたので、我慢しようと思えば着れましたし」

男性を目の当たりにする辛さと、スカートを我慢して曖昧に生きる辛さと、どちらが我慢できるかという二択です」

 

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「どちらも辛いものの、どちらのほうが少しでも辛さが軽減されるのかという選択ですね」

「それで、女子高を選びました」

 

どんどんリアルになっていく世界との闘い

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「高校に進学して、気持ちは和らいだのでしょうか?」

「男性を目の当たりにする機会は減って、曖昧には生きられたので中学校の頃よりはましだったのかもしれません。ただ、どんどんリアルな世界になっていく怖さと闘っていて、高校生の頃もまあまあ辛かったです」

 

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「リアルな世界というと?」

「同級生との会話の中では恋話とか将来どうするのとか、結婚の話も出てくるので、都度都度やっぱりまわりから女性として見られているという絶望はありました」

「高校卒業後の進路って、人生の中ででかいじゃないですか。大学進学でも就職でも。こういうリアルな世界になっていく怖さです」

 

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「辛さが増していくかんじだったのでしょうか?」

「ん~、増していくわけではなかったかもしれません」
「高校生の時、自分の中の一部では生きるの諦めてはいました。でも、辛いのは辛いけど、そのうち楽になるしいっかみたいな。中学生の時よりは楽に生きられたと思っています」

 

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「そうでしたか。よかったらその後についても教えてください」

 

カミングアウトをせず、ボーイッシュな女性として過ごす

「高校を出てから大学に進んだのですが、その時もボーイッシュな女性という感じで過ごしていました」

 

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「当時は誰かに相談やカミングアウトをすることはあったのですか?」

「いえ、まわりに全く話していなかったです。誰にも。自分がFtMだということは、かけらも話はしていませんでした」

「でも、高校生の時も大学生の時も女の子と付き合っていました。なので、レズビアンとして見られていたのかもしれません。付き合っている子も同じ学校とか同じクラスだったので、身近な周辺にはバレていました」

 

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「バレていたといっても、FtMではなくレズビアンだと誤解されてでしょうか」

「そうですね。私がFtMということをカミングアウトしたのはもっと後です。自分のことを言うようになったのは、性別変更に向けて治療することを決めてからです」

 

手術できると知り、生きる希望が出てきた

TTさんは長い間、自分の性別に対する違和感を誰にも打ち明けることなく過ごしてきました。

昔はLGBTQという言葉もトランスジェンダーという言葉もなく、現代ほどセクシャリティに関する情報がない時代。
情報がなければ自分自身に知識が入ってくることはなかなかありませんし、世間の理解もなかなか進みません。

性別違和に悩んでいる人がいるということ自体、世の中にあまり知られていないうえ、自分自身もヤモヤとした違和感が何なのかよくわからないということも多かった時代。
かつては日本で性別を変更することもできませんでした。

では、TTさんはどうやって自分が自分らしいと思える性別に向けて動き出していったのでしょうか。

治療をすると決め、カミングアウト

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「長い間、基本的にはカミングアウトをすることなく過ごしてきて、性別適合手術を受けようと思ったきっかけのようなことはあったのですか?」

手術をすれば戸籍の性別を変えられると知ったのは2003年頃です。当時付き合っていた彼女が新聞に出ていた記事を見せてくれたんです。日本でも手術をして性別を変えられるようになるっていうニュースです」

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「性同一性障害の特例法ですかね。2003年に成立して2004年に施行された法律(※注)。要件を満たせば日本国内で性別適合手術が受けられるっていう」

※注
「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」
通称は「性同一性障害者特例法」、「GID特例法」 など
参考:衆議院サイト

「そうそう、それです!」

「それまでは海外で性別を変更する手術ができることは知っていたのですが、まとまった金額を工面するということにビビッてたのでムリって諦めてたんです」

「でも、日本でも手術をして性別変更できるようになったらしいよって聞いて、『自分もできるかも!』ってなったんです。生きる希望ができました」
「このことを知ったら、すぐに動き出しました」

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「すぐに手術に向けて動き出したのですね。そこでカミングアウトをしたのですか?」

「そうですね、必要に迫られてというか」

 

「戸籍の性別変更に向かって進むとなると、ホルモン治療が必要になります。ホルモン治療をしてくと少しずつ見た目や身体の変化が出てくるので、治療を進めていくことに関して会社に伝える必要がありました」
「で、当時働いていた会社の人事担当者にカミングアウトをしたという流れです」

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「理解のある会社でしたか?」

「そうですね、理解のある会社だったのですが、そこは途中で退社したので、実際は別の会社に勤めている時に手術をしました」
「新しい会社は、私が性別適合手術を受ける前提で採用してくれました

理解ある会社に恵まれ、望む性別に

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「面接の時に手術を受けるという話もされたのですね」

「そうです。新しい会社を受ける時、面接でしっかりそういう話をしました」
「性別を変えるための手術をしたい。そのために長期間休みを頂いてしまうことになる。手術後は違う性別で生きていく前提で働きたいと」

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「治療することを前提で雇ってくれたのですね、いい会社ですね!」

「ほんと、とてもありがたかったです。手術は岡山にあるGIDの病院で受けようと思っていたので、勤務先も近隣の香川県に配属してくれました」

 

「北海道から岡山に通院するのはかなり大変ですけど、香川なら瀬戸大橋を渡ってすぐなので診察なら日帰りで通院できる距離です。2004年に動き出して、2005年には四国に赴任ししました」

その後、TTさんは無事に手術を終え、戸籍も男性へと変更し、幼少期から抱えていた性別に対するモヤモヤ感や違和感がなくなりました

レインボーはこだてプロジェクトで支援活動

現在は香川県から北海道に戻り、函館市を拠点に活動する団体「レインボーはこだてプロジェクト(RHP)」のメンバーの一員として活躍しています。
かつて自分が思い悩んでいたことや乗り越えてきた経験を糧に、今思い悩んでいる人たちのために情報を伝えたり手を差し伸べたりしています。

レインボーはこだてプロジェクト
レインボーはこだてプロジェクト(RHP)は,北海道函館市を中心に活動している任意団体です。RHPでは,「LGBT」を知ることで,誰もが自分らしく暮らし,自己実現できるような函館・道南の地域づくりを目指しています。多種多様なメンバーが定期的に...
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