当事者ヒストリー|手術でタイに6回渡航。2年で戸籍の性別変更をして男性に

当事者ヒストリー圭さん 当事者ヒストリー
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当事者ヒストリー」は、生まれた身体の性別に違和や疑問を感じるLGBTQ(セクシャルマイノリティ)当事者のインタビュー記事です。
性別に悩む一人のノンフィクションの物語、当事者のリアルなヒストリーをご案内します。

今回紹介する方は、北海道の道南地方在住のトランスジェンダー(FtM)、圭(仮名)さん。

「女性に合わせようと25年生きてきたけど無理だった」
「職場の理解を得て在職中に手術。戸籍変更は2年で実現
タイでの性別適合手術は計6回。どこまでやるかは自分との折り合い次第」

女性として過ごした25年間と、その後2年で男性へ変わった圭さんの当時の心境や想い、性別違和との闘いについてインタビューしました。

インタビュー時期|2023年6月上旬

 

「当事者ヒストリー」は以下を目的としたインタビュー記事です。

  1. トランスジェンダーやXジェンダー、ノンバイナリーなどの当事者のために、仲間がいるということを伝え、みな日々どんな想いで過ごして乗り越えてきたかを伝える
  2. 当事者を知らない方に当事者の悩みや想いを知ってもらう

考え方は人それぞれ違うため、異論を感じる方やマイクロアグレッション(無意識の偏見や無理解による精神的ダメージ)を受ける方もいらっしゃるかもしれません。そのような方は、記事から離れて頂ければ幸いです。また、取材対象者への攻撃や誹謗中傷などもしないようお願いします。

 

自分を女子に合わせようとした25年間

当事者ヒストリー圭さん

圭さんが自分のことを明確にトランスジェンダーだと認識し、性別を変えようと思ったのは25歳の時。それまでは中性的な立ち位置だったと言います。

女性ではないということはずっと前から認識しつつも、はたして自分は男性なのだろうかと言われると、世間一般の男性とはちょっと違うのかなと

長年、自分の性別に対する認識が曖昧なまま過ごしてきました。

学生時代から社会人に至るまで、どのような想いで過ごしてきたのかを語って頂きました。

制服がイヤ!身体の変化がイヤ!

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「25年間で、自分の性別について嫌だとか感じたことはありましたか?」

「中学で初めて制服を着るのですが、制服を着るのがものすごく嫌でした。学校に行っても女子トイレに入りにくかったです。
でも、この気持ちが何なのかはよくわからなかったんです。当時はまだトランスジェンダーとか性同一性障害などの言葉もなかったですし」

 

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「ご自身が女性であることに対して明確な嫌悪感を抱いたのは中学生になった時なのですね。その前は性別に対して何か違和のようなものを感じることは少なかったのでしょうか?」

「今振り返ると、幼少期に弟とよくミニ四駆などで遊んでいたものの、特に男の子であると認識していたというわけではなかったです。ただ、なんとなくスカートは苦手という気持ちはありました」

 

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「はっきりしないものの、モヤモヤとした感覚がありながら幼少期から過ごしてきたのですね」

「私、自分の性格上、色々なことに臨機応変に対応できてしまうんです。それと、周りの人たちと違うというのがすごく嫌だったのもあって。なので、自分は女の子ではないと感じながらも一般的な女の子像にあてはめて過ごしていました。自分でいうのもなんですが適応能力が高い方なんだと思います」

高校生からは「女子になろう期間」

適応能力が高いながらも制服やトイレはさすがに厳しかったと語る圭さん。
中学生の時の学校のトイレに入ることは心理的に抵抗がかなりあり、誰もいない時にしか入らないようにしていたそうです。

その後の高校生活についてなど、25歳までの歩みについても続けてお話を伺いました。

「高校を決める時、私服の高校に行こうと決めていたので、高校生になったら制服問題からは解放されました。なので、スカートを履くこともなく過ごせるようになりました。ただ、私の高校時代は『女子になろう期間』でした」

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「あれ!?女子になろうとは、どういうことですか?」

「自分の中に女性としての違和感はありながら、人と違うことが嫌だったので女子になろうと努力することにしました。女性用下着もつけたくなかったんですけど、中学生の頃から成長とともに身体も変化してきて、胸が出始めた頃にスポブラはつけていました」

 

「高校に上がってすぐの健康診断の時、ブラつけていないことをクラスメイトに指摘されたんです。『ブラつけたほうがいいよ』『なんでブラつけないの』って。
もう、言われるのも面倒くさいというか…。そのくらいから、どうにか頑張って女性として生きてみようと思ったんです」

 

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「何かアクションをされたということですか?」

「その頃から女性トイレも気にせず行こうとしていました。いわゆる見た目が可愛らしい女性とかを目指していたわけではないんですけど、ちょっと頑張って化粧も始めてみました。
でも、やっぱり違うなと」

 

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「言葉が適切ではないかもしれませんが、女性を演じていたような感覚なのでしょうか」

「なんとか自分を女性像にあてはめて周囲に合わせようとしているような感覚です。
その頃、自分の性別に関してはっきりしていないので、女性になるのが嫌というより大人になりたくないという感覚なのかなと思ったり、(周囲の人たちに)置いていかれるような気がしていました。周りとちょっと違う、それは嫌だと」

「まぁ、あまりうまくいかないんですけどね。無理なんでよ、結局(笑)」

 

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「そうだったのですね。
圭さんが女性になろうとしていた時、女性として見られることでの嫌だったこととかありますか?たとえば男女の恋話とかを聞かれたり、男性から恋愛的や性的な視線を向けられたりとか」

「それが、その辺は意外となかったかもしれません。
中学生の時は仲良かった男子と噂されることはありましたが、ちょっとした冷やかし程度でした。

高校の時の『女子になろう期間』では、高1の秋くらいに同じクラスの男子と付き合うことになったんです。結局そのあと何もなかったのですが、その人と付き合うってことになったので他の男の人からどうこうってのはなかったんです」

 

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「中高生にありがちな男女の問題からは比較的やり過ごせてきたのですね」

「そうですね。うまくやり過ごせたというか。もしかしたら嫌な思いをしていたのかもしれませんが、うまくかわすことができただけというか、耐えて忘れてしまい、思い返した時に覚えていないだけかもしれません」

 

金八先生を見ても自分がトランスジェンダーだと気づかず

周りに合わせて適応していくことが比較的得意な圭さん。性別に対する違和感はありつつも、社会環境に順応してしまったが故に、自身がトランスジェンダーだとは気づかなかったと語ります。

「身体的に女性というのはもちろんわかっていました。胸がいやとか。だからといってこれが男性かと聞かれるとよくわからないというような……」

「後から考えると、一般男性の中にも女性的な部分や男性的な部分もあるじゃないですか。男性はこうあるべき、女性はこうあるべき、という頭がずっとあった結果、自分が男性であるということが自分自身も認められなかったのだと思います」

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「確かにその当時(1990年代)はまだ『男は男らしく、女は女らしく』という風潮けっこう残っていましたしね」

 

「加えて、私は人と違うということが嫌だったので、私の違和感について何か調べるということもほとんどしなかったんです」
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「まだ性同一性障害などの情報も少ない時代なので、なおのこと自分で調べないと情報が入ってこなかったですよね」

「1990年代の終わりに、ドラマの『金八先生』で上戸彩さんが性同一性障害の役を演じていましたよね。このドラマを見て自分が性同一性障害なのかもしれないって気づいた当事者けっこういるって聞きますよね」

「私はドラマを見ても自分のことだとは思わなかったんです。
ドラマの内容がけっこう過激というか、典型的なトランスジェンダー像だったからか、自分は違うって」

 

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「お話を伺っていると、典型的なトランスジェンダーではない、でも女性ではないし、典型的な男性っぽさとも違う、それでも女性になろうと自分を適応させてきたという状態だったのだと感じました。
ご自身の違和感について、誰か相談をした人はいましたか?」

「この頃、自分のことを人に言えませんでした」

 

「昔、掲示板とかのネット界隈が自分の味方でした。ただ、そこでも性別違和があると言うと、『お前は典型的なトランスジェンダーではないからトランスジェンダーではない』ってすごい言われていました。
自分は女性ではないという思いがずっと続いていたものの、社会生活になんとか対応できてしまっていました。モヤモヤ感を抱えながらずっと過ごしていました

 

生活のために職場の制服を着るものの、すぐに転職

高校を卒業してからすぐに就職した圭さん。社会人になってからも『女子になろう期間』は続いていたそうです。
続けて、25歳に性別移行を決断するまでについてお話を伺いました。

「はじめに勤めたところは制服があったんです。モヤモヤ感を抱えながらも、生きるために働かないといけなかったので、まずは制服の有無よりも仕事を優先しました」

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「我慢をしながら働いていたのですね」

「でも、どう頑張ってもやっぱり制服の問題は厳しかったです。それに職場の人間関係も微妙だったので…、就職1年目の時から転職活動をしました。
で、2年目に転職先が決まり転職しました」

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「そうだったのですね。転職してからは不都合なことは減りましたか?」

「そうですね、制服もないですし。パンツスタイルでシャツにカーディガンという恰好で仕事をしていました」

「はじめ3年くらいはボーイッシュな女性として。
とはいえ、トイレはやはり嫌でしたし、身体も嫌、あと私の名前がいかにも女性という名前だったのも嫌でした」

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「制服問題はなくなったものの、トイレや名前はなくなりようがありませんしね…」

「名前に関しては、仕事ではどうしようもないのですが、プライベートでは通称名を使うようにしていました。
ただ、23歳か24歳くらいになって、いよいよ女性として暮らしていくのは限界が来たなと感じ始めたんです」

 

もう限界!カミングアウトしてしまい自分の心の内を吐き出す

限界が来たという圭さん。何かトラブルや事件などがあったのでしょうか。辛かった当時のことを率直に語って頂きました。

「23歳か24歳くらいになって実家を出て一人暮らしを始めたんです。そうしたら、自分と向き合える時間が多く取れるようになって。ボーイッシュな女性はもう無理だなと思うようになっていきました。

で、25歳の時にもうダメだと思いました」

 

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「無理だなと思うようになって、25歳の時に決定的な出来事があったのでしょうか?差しさわりなければお話を……」

「当時一人暮らしを始めた頃にお付き合いしていた人と別れたんです。その人とざんざんな別れ方をしてしまって…」

 

自分一人じゃ抱えきれなくなって自分の心の内を吐き出してしまい、姉にカミングアウトし、ほかにもいろんな人にカミングアウトしました」

 

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「カミングアウトをしようと決めていたわけではなく、抱えきれなくなって話をしてしまったということですか?」

「そうですね、カミングアウトをするぞって決めていたわけではありません」

「でも、それまで色んなことを隠してきたのですが、『周りに合わせていた自分』から『本来の自分』になったというか、はっきりと自分のことを言えるようになりました。

吐き出せた時の気づきがきっかけだったのかもしれません」

 

2年で性別適合手術と戸籍の性別を変更

圭さんは長い間、モヤモヤとした状態で過ごしてきました。

いつから違和を感じ始めたのかはっきりしないうえ、無理だと思い始めたタイミングも明確ではないものの、少しずつ心の中のわだかまりが貯まっていき、気づいた時には一気に噴き出したそうです。そのタイミングが、当時付き合っていた人との別れでした。

ここまで25年かかりましたが、その後はかなりスピーディー。なんと2年で性別変更まで進みました。
性別を変えるまでどのように動いてきたのかを教えてもらいました。

札幌への通院を止め、タイでの性別適合手術を決意

25歳にもうダメだって思ってからは早いです。  

まず地元のメンタルクリニックに行きました。GID(性同一性障害)の専門医ではないので対応できないということで、札幌の某病院を紹介してもらい、3カ月に1回札幌のGID診療に通うようになりました

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「札幌の病院、もしや初診は抽選ですか?」

 

「私が受けた時は、まだ抽選ではなかったんですよ。電話予約で、予約電話を受け付ける曜日や時間は指定されていましたが。

ただ、地元からはるばる4、5時間かけて札幌に行って、精神科医の診察が5分程度で終わって、次回3ヶ月後の予約をして、また4、5時間かけて地元へ帰るという感じで……。診察が5分あるかないかなんですよ」

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「札幌のGID、けっこうそういう話、聞きますね(苦笑)。時間かけてはるばる行ったのに3分とか5分で終わりとか。札幌在住の人ならまだしも、遠方から通う人には酷ですよね……。時間も交通費も相当かかるのに」

 

「自分と向き合ってトランスジェンダーだとわかったら、こんな調子で進むこれからのカウンセリングが無駄に思えてしまいました。札幌へこのまま通っても時間かかりすぎるので、東京の病院へ行って一発で診断書出してもらってタイに行こうかとも考えました」

 

「ホルモン治療もフライングで勝手に始めてしまいましたし、名前の変更も早々にしています」

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「ホルモン注射も打てたのですね。名前の変更も含め、診断書はどうしたのですか?」

「注射はいろいろ調べて、はじめは札幌の婦人科で一本打ってもらいました。

ただ、そんなに札幌へは行けないので、地元の対応できそうな病院に片っ端から電話かけて、事情を説明してやってくれるという病院をなんとか見つけました。性同一性障害の専門医ではないのですが、注射に関してくらいならわかるということで」

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「それで、札幌通いは止めてしまうのですね」

「はい、診断自体は出ていたのですが札幌に通って手術を目指すのは止めて、札幌の担当医師の反対を押し切ってタイに行って手術しました。行く前、札幌の担当医からはものすご~い嫌味を言われましたけどね」

 

性別適合手術をするためタイへ6回渡航。タイで受けたオペを激白!

自分の性別は違う
圭さんはこう確信し、変えると決めてからは迷うことがなく動き出しました。

その後タイでの手術は6回に分けて受けたそうです。どんな手術だったのか教えてもらいました。

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「タイに決めた理由は何ですか?行くあてはあったのですか?」

タイで手術をすると決めた理由は、日本でもタイで手術をした人が増えてきたことと、価格が安くて症例も多いことです。ネットで調べると、タイの有名な病院の情報も出てきますし、仲介業者もこういうところがあるだとわかります

 

「私はタイのヤンヒー病院で手術を受けました」

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「確かに、タイで性別適合手術を受けたって方、けっこういますもんね」

「はじめは費用が一番安い仲介業者に依頼しました。ただ、個人業者だったのでレスポンスが遅かったので、この先何かあった時に不安だなと思って、3回目にタイで手術をしようとした時に別の業者に変更してそのあとはずっと同じです」

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「なるほど。あれ!? 手術しにタイへ何回行ったのですか?」

「6回行っています」

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「え?6回も!? 」

タイで受けた6つの性別適合手術

「FtMが受ける手術はいくつかあって、私の手術内容であれば本当なら3回で済むのですが、私の場合、細切れで手術したので6回行きました。手術の内容次第では1回で終わりという方もいます。むしろ1回で終わる人の方が多いかもしれません」

圭さんがタイでどんな手術をしたのか教えて頂きました。一覧にしてご紹介します。

年月期間手術内容
2010年8月2週間子宮卵巣摘出手術
2011年2月1週間乳頭乳輪縮小手術
2013年2月2週間膣閉鎖および尿道延長手術
2013年12月2週間前腕部尿道形成手術
2015年9月3週間陰茎形成手術
2016年5月2日間
緊急渡航 
インプラント摘出手術

最後の手術は、(形成した陰茎に入れていた)インプラントが飛び出してきてしまったので、それを抜く手術です。本来は必要のない手術なのですけどね

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「基本的な質問なのですが、一般的にFtMの方で手術を受ける方は何回くらいするものなのですか?」

「私が見聞きしている限りでは、FtMの方の8割か9割くらいの方は子宮卵巣の摘出手術で終わりにするようなので、1回で手術終わりという方のほうが圧倒的に多いと思います。子宮卵巣がなければ戸籍の性別変更はできてしまいますしね

タイでの性別適合手術にかかる費用と入院期間

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「ちなみに、6回の手術でおおよそ費用はいくらくらいかかりましたか?」

「渡航費やアテンド費も含めて6回で確か約300万円くらいです。当時の価格なので現在はもう少し高いと思います。最後の陰茎形成が一番費用かかりました。

1回目に関しては、当時パートナーも同行したのですが、同行者の渡航費用も含めて総額80万円くらいでした」

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「1回目の80万には胸オペも含めてですか?」

「そうです。当時札幌の病院では胸のオペだけで約80万円かかると言われていたので、タイのほうが圧倒的に安かったです。上下(胸オペと子宮卵巣摘出)で80万円なので
ただ、今(2023年現在)はタイでは上下合わせて100万少々かかるようですけど」

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「そうなのですね。今は事情が異なるとおもいますが、当時はタイを目指す人が多かったのも納得ですね。日本よりも早くて安くて症例数も多いのですし」

「ちなみに手術時間はどのくらいかかるのですか?」

「だいたい5、6時間だったと思います。全身麻酔なので気づいたら終わっていたのでよくわかりませんけど(笑)」

 

「タイには2週間滞在していて、1週間は病院、残り1週間は病院近くのホテルに泊まって、アテンドの方の同行でタイ観光を楽しみました」

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「タイならではの観光付き手術ですね。いろいろ教えていただきありがとうございました」

日本で性別適合手術を受けるために定められたガイドラインに沿わず、自己判断でホルモン治療や性別適合手術を受けることを推奨しているわけではありません。

 

性別適合手術のために仕事は休める?職場対策はどうしたのか

タイでの手術を経て戸籍の性別を男性に変更した圭さん。
手術のために6回も長期間仕事を休んでタイに行くとなると、気になるのは職場の兼ね合い。どのように乗り越えてきたのでしょうか。

「職場には恵まれました。1回目の手術の時、2週間タイに行くため、ケア時間も含めて1カ月間休みをもらいました。有給休暇があったとはいえ1カ月も休むのは結構大変です」

 

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「どのように話を持っていて休みをもらえるようになったのですか?」

「手術を2010年の8月にやると決めて、その前の年に上司にカミングアウトしました。
長期間休まないといけなくなるので、長期間休んでも支障が出にくい部署に異動させてほしいと上司に伝えたんです。そうしたら、その上司が『俺たちが支えるから異動する必要はない。そのままいてくれ』と言ってくれました」

 

「6人くらいの班だったのですが、みんなに情報が共有されて、一ヵ月休んで職場復帰することができました」

 

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「いい職場ですね! 職場もですが、いい上司でよかったですね」

「本当にいいメンバーに恵まれましたし、いい職場でした。チームワークを大事にする上司だったからなおのことかもしれません」

 

トータル7年その職場にいたのですが、メンバーの入れ替えもありながらもみんな理解があって、『よろしくね』って感じで、有給を使ってその都度タイに行くことができました

 

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「手術をされることについて、けっこう職場内で情報共有もされていたのですか?」

「いや、はじめは同じフロアの人だけ情報を共有してもらっていました。

けど、他のフロアの人も知っているということがあって…(笑)。職場内で噂が結構広まりやすいのかなとは思いました。

でも、みんなとても親切にしてくれたので、よい職場だったと思います」

 

性別適合手術して戸籍の性別を変えてよかった

圭さんは20歳代後半から30歳代前半にかけて、職場の理解を得て自分の望む身体へと近づけていきました。戸籍の性別も変更を変えたことから、今は日常生活で困ることはほとんどないそうです。

「欲を言えば本物がほしいけど、あとは自分との折り合い次第です。自分自身が納得、満足かと言われるとノーだけど、自分自身の折り合いはついているので不満はありません。

性別適合手術が全てではない

手術をしてよかった、間違いないと言い切ります。
ただ、この記事を読んだみなさんにぜひとも一言伝えたいことがあるそうです。

性別適合手術が正解ではないし、ゴールではありません

 

「今は情報がすぐに手に入ります。情報が入るせいで勘違いも起きやすいと思います。

女性として過ごすのが無理だと思って手術をして、結果的に違った、失敗だったと思うのが一番可哀そうです。後戻りできないので」

 

「なので、特に若い人たちは突っ走らないでほしいなと思います。手術が全てではありません」

レインボーはこだてプロジェクトで支援活動

圭さんは現在、性的マイノリティに対する支援や啓蒙活動をする「レインボーはこだてプロジェクト(RHP)」の初期メンバーの一人として活動をしています。
自身の経験も含めて若い人たちへの相談や支援、市民への啓蒙活動を積極的に行っています。

レインボーはこだてプロジェクト
レインボーはこだてプロジェクト(RHP)は,北海道函館市を中心に活動している任意団体です。RHPでは,「LGBT」を知ることで,誰もが自分らしく暮らし,自己実現できるような函館・道南の地域づくりを目指しています。多種多様なメンバーが定期的に...

その中の一つの活動が、フラットシャツの無料試着&交換会

フラットシャツとは、胸を目立たなくするための補正下着で、主にFtMやFtXで胸オペをしていない方が着用するシャツです。以前はよくナベシャツと言われていました。

性別違和を感じる方には必要なものですが、比較的高価なため、学生さんなど経済的な問題で購入することが難しい方に対し、サイズが合えば無償で提供するという活動です。

提供しているフラットシャツは、日本各地から不要になったものを厚意で寄付していただいたものばかり。ご覧になっている方で、もし不要になったフラットシャツがある方は、ぜひ、「レインボーはこだてプロジェクト」にご提供を!

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